飲酒の禁止された世界で
少し前まで、想像すらしていなかったことが、現実に起こる。
そんなことが本当に、それもこの世界で生じることはあるのだろうか。
私たちはいかなる時もあらゆる事柄を想定して生きてきた。
若気の至りなんかじゃ許されないこの世の中「当たって砕けろ」なんてもってのほか。
古い考えでしかない。
私たちはネガティブだ、臆病だと笑われながら、
何度だって頭の中で試行錯誤を繰り返しては間違いのない道を選び抜き、進んだ。
それを、強いられ続けてきたはずなんだ。
其れが今更「1mmだって予想していなかったこと」
にぶつかるだなんて
少しおかしいとは思いませんか?
2020年
私が記憶に新しいその日、それはまだたしかに存在した。
早めに退勤した日は必ずと言っていいほど、
先輩と行きつけの店へ通ったものだ。
そして例外なく今日も、早上がりの私は友人ととある店へ訪れていた。
「な~んか行き当たりばったりだったけど、雰囲気もいいところでよかったね。」
「本当にね。クリスマスにインフルエンザなんて、神様に見放されてるとしかと思えなかったけど……」
「あはは、ま、意外と生きてりゃいいことあるっしょ?」
「だね。でも…ここ、高そうじゃない……?」
「キャッチのお兄さんが飲み放題もプラス千円でつけてくれるって言ってたじゃん(笑)ここらで騙しってこたないでしょ(笑)考えすぎ、考えすぎ。」
「……かなぁ。」
たまにはとキャッチに捕まり、
案内されたのはいかにも高級そうなつくりのお店だった。
慣れない店だからなのか、得体のしれない不安を胡麻化すために、こくり、一口手元の水分を喉へ流し込む。
とりとめのない話をしながら、目線だけぐるりと見慣れない店内を覗き見た。
土日ということもあってか、随分家族連れが多いように見える。
寧ろほとんどが……いや、
見渡す範囲内はすべて家族連れだ。
友人と二人の私たちが浮いて見えるほどで、少し異様にすら思える。
「決まった?もう呼ぶよ。
店員さ~~ん、すみませ~~ん!!」
「はーい!」
友人の声にいち早く反応した、金髪の若い女性スタッフが小走りで
私たちのテーブル近くへしゃがみこむ。
「えっと……じゃあ、すみません、とりあえず生を一つ。」
「……は」
「「「…………」」」
「「「…………。」」」
「え……?」
「え?……あの、ですから、すみません。生を……。」
「…………」
「……」
店員の怪訝な顔
……
周囲の客は途端にザワザワと、席を立ち始めていた。
……
視界がぐわんと歪む。
……
なんだこれ……
……
………ん…、
「アイタタ……、
っ……」
「飲酒は犯罪です。」
「飲酒は犯罪です。」
「飲酒は犯罪です。」
「飲酒は犯罪です。」
「飲酒は犯罪です。」
「飲酒は犯罪です。」
「飲酒は犯罪です。」
「飲酒は犯罪です。」
「う、うわああああああああああああああああああああああああ!!!!」
な、なんだよここは……
先ほどまで一緒にいた友人が……
いや、それどころか周りをいくら見渡せど、生活感のある自転車を見つけるのか精一杯で誰一人としてここを通る人を見つけられない。
ん……?
何かかいてある……
(隣人EXちゃん…見損なったよ…。
あなたがそんな人だったなんて…。
ううん、今更だよね…。
これからは離れ離れにはなっちゃうけど、
これから何かとそっちも頑張って。
それじゃあ、さようなら。
今までたくさんの思い出をありがとう。)
は……?
「こちらは警察署飲酒撲滅委員会です。
飲酒は法律で固く禁止されております。口にした瞬間、死刑となるたいへん危険な薬物です。周囲でもしも飲酒を勧める、保持している人物を見つけた場合は、速やかな通報をお願いいたします。
繰り返します。こちらは――……」
どこからかそんなアナウンスまで聞こえてきた。
しけ、死刑……?
思わず耳を疑った。
とはいえそう考えれば、あの冷たい眼差しにも納得がいく。
何やら大変なことになってしまった。
……一旦整理しよう。
まずこの世の中が私の知っている世界でないことは確かだ。
しかし、かなり酷似している……
というよりは、先ほどインフルエンザ完治後に出勤し、
仕事を終えて友人と合流するまで、今朝から変わった様子なんて毛ほども感じなかった有様だ。
それは人間関係や建造物などの景色だけでなく、
私のカバンの持ち物に至るまで、だ。
今のところほぼ、この世界に違和感を感じることはない。
しかし、ここには元の世界とたった一つ、大きな違いがある。
おそらく……
いやまず間違いなく、この世界では「酒が禁止」されている。
それも、飲酒に対しては死刑という極端な処罰が定められているらしい。
しかし、そうなるとここはどこだ。
この場所は先ほどとは打って変わって元の世界では目にしたことがない。
……ここへ来る前、
居酒屋にいた私はいつも通り生ビールをひとつ、注文したはずだ。
しかし、それから後の記憶は店中の人の不安と嫌悪に満ちた表情を境に完全に途絶えている。
気が付いたら見知らぬ此処へ転がっていた。
整理しようとしても、
まったくもって現実味を感じられない私の前に、誰かがのそりと影を作った。
「お前さん……さては訳ありだね。」
「わ、訳あり?すみません、私、貴方が何を仰っているのかさっぱり……」
……薄暗くて表情は伺えない。
依然としてパニックの私は、
返事をしながらもその謎の人物から少しの距離をとった。
しかし、貴重な第一村人だ。
この人なら、何か知っているかもしれない。
「何があったか分からねぇが、ここまで落ちりゃ、お前さんももうおしまいさねぇ。」
「終わり……って……なんですかそれ、……ここまでって?
」
「ここはなぁ、自由の効く牢獄みたいなもんさね。」
「自由の利く、牢獄?」
「そうさ、この町全体がね。
もう随分前だったかね、飲酒が禁止されはじめたのは。
もう日本にはどこ探したって酒なんてありはしないんだけどねぇ。
ここの輩はね、興味本位で偽物の酒使ってここへ突っ込まれているってわけさ。
要は……要注意人物の厄介払いだね。」
「厄介払い……」
「治安の悪いここいらでさえ、
酒の味を知った連中なんて居ない……。知ってんのは私みたいな老いぼれくらいのもんさ。
お前さんには信じられないかもしれないけどね。
自由に酒を飲める、いい時代があったのさ。
それが今じゃなんでも規制、規制……挙句死刑ときた。
この街へ来たら猶予はあと一回きり。
もう一度少しでも警察の逆鱗に触れたらおだぶつさ。」
「そんな勝手な……」
突然のSFのような話に、開いた口が塞がらない…とは正にこのことだった。
「私、が知っている世界は、飲酒が犯罪でなかったんです……。」
「何も知らないままお酒を頼んでしまって、
それで気が付いたら居酒屋で白い目で……」
「……そうかい。
やはり、訳ありか……。
そんなあんたにだけ教えよう。実はね、ここに放り込まれた連中のおよそ半分は、何故かは分からないが、状況も飲めないまま此処へ飛ばされてしまった奴らなんだ。
あんたと同じさ。いつの間にか、世界が変わっていたんだ。」
どうやら、此処へ無意識のうちに飛ばされていたのは私だけではないらしい。
いったい何故、私たちがこんな目に……。
……しかし、その人たちは本当にそれを警察側へ打ち明けたことがあるのだろうか。
お婆さんさえ少し話すのを渋っていた話だ。
誰も、行動を起こしていないだけかもしれない。
考えてもみたら腹を割って話しさえすれば、
警察の誤解を解くことが、できるのではないだろうか。
簡単なことだはないだろうが……
私はもちろん元の世界でもアル中なんかじゃなかったし、
酒が「なくてはならないもの」ではなかった。
お酒を囲むときの雰囲気が好きなだけであって、
それが重大な犯罪と知った今ならば、もう興味などこれっぽっちもない。
難しくても、まずは無実を主張しよう。
私は命をおびやかされてまで酒なんて飲みたくないし、
ましてやもちろん持ってなんているわけも無……
そこまで考えて、たらり、額に嫌な汗がたらりと伝った。
私は元の世界の自宅にストレス解消用にと、
自宅に安酒を一本ストックしていたはずだ。
もし、この世界が私の持ち物をも完璧に反映した世界であったとしたら…
深く考えるよりも先に私は分かりもしない方向へ走り出していた。
「あ、あんた!いきなりどうしたってんだい!そんな青ざめた顔で……」
「私、私の部屋に、ある、
かもしれないんです。
さ、さけ、酒……が……」
「なんだって!?!?」
……誰にも見つかっていないだろうか。
もしもすでに何かしらの調査があって、バレてしまってでもいたら、
私は……
私は……
今までどこか他人事のように感じていたそれが、
突然目の前で現実味を帯びた。
恐怖でガクガクと震え、へたり、と その場に座り込む。
どうしようどうしよう、
どうしたら……
「話は聞いたぞ」
……目の前のお婆さんに話すので手いっぱいで、
一切気配を感じ取れてすらいなかった筋肉質な少しガラの悪そうな男性が、
3人、私の背後から顔を覗かせた。
私はその場の全員にすべてを打ち明けた。
此処へ来るまでのこと、
酒をオーダーしてから、
その後の記憶がすっかりなくなってしまっているということも。
そうして次の2つのことを聞いた。
・予想していた通りこのまま放置していては、
家の抜き打ち捜査で明るみになるだろう、ということ。
・その場合は間違いなく命を狙われるだろうということ。
「私」
「取りに、いきます。」
どちらにしてもリスクがあるのなら、あがいてみるべきだ、と思った。
「ああ……それがいいだろうね。」
「おう!」
「そう来ないとね。」
「楽しいことになったな、これは。」
そうして道すらも分からない私を案内し、協力すると……
私の自室のセブンミレブンの梅酒紙パックを持ち帰るために、
私たちは運命共同体となることを決断したのだった。
「成功したら、みんなで晩酌をしよう。」
その一言で、私たちは結託した。
もはやそれ以上の言葉は、必要なかった。
日没後、ついに決戦の時。
どうにか監視の目をくぐり、
街の出入り口を突破した私たち一行は、私の自室へ急いだ。
見慣れたマンションが、やけに高くそびえたって見える。
その場の全員、固唾を飲んでマンション木陰から見守る中
私はできる限りの自然を装い、帰宅する。
真夜中とはいえ、どこから監視されているか分からない。
細心の注意を払い、ゆっくりと鍵を回した。
ガチャリ……
(たしかあの食糧入れ横の収納に……)
あ
あった……
あった…!
あった……!!!!!
未だ収まることのない動悸の中で、
すっと重荷になっていた何かをおろしたように、大きく息を吐く。
みんな……!!
満面の笑みで紙袋に入れた梅酒を高く抱え上げ、
約束の木陰へ戻ろうとした
そのとき、
突然視界ををカッとまぶしいライトに照らされた。
「アルコール セイブン カクニン!
アルコール セイブン カクニン!
ホカクセヨ!ホカクセヨ!」
あまりの光の強さに視界がぼやけホワイトアウトした瞬間、
誰かが私の手を引っ張り上げた。
「大丈夫かい!あんた!」
「おばさん……!大丈夫です!でも、もう……」
「あんた、それもって逃げな。」
「!?
そ、そんな……だって、そしたらおばさんは!」
「弱音ならあとでお前さんの後ろのむさくるしい連中がしこたま聞いてくれる!!
私がおとりになる。」
おばさんの細い脚は、暗闇でもはっきりとわかるほど震えていた。
「なあに……絶対死刑なんかにゃなんねぇさ。」
「共倒れしたいのかい!?!?
早く逃げるんだよ!!!早く!!!!!」
頭が真っ白になった。
一緒に逃げないと意味なんてないじゃないか。
「……あんた、
ばあさんの思いを無駄にするな。
今やるべきことはひとつだ。
ばあさんのために、それ持って逃げるんだよ!!
できるだけ遠くへ……気を、しっかりもて。
お前がしっかりしなきゃ、どうしようもねぇよ!!!」
「……短い間だったけど、一先ずありがとうね。
私みたいな老いぼれが、若人の酒一杯の為に体を張れるんだ。
こんな幸せが、どこにあった?
わかったら、行きな。
……その酒、少しでいい。
そいつらにも分けてやってくんな。
ビビらず飲むんだよ。あんたの、酒だからね。」
「おばあ……さん」
「……絶対、絶対に約束ですから……
みんなで酒囲んで、待ってますから!!!」
振り返ってはいけない。
無我夢中で、私は走った。
「それでいいのさ……それで。」
どうして……どうして、こんなことになった?
私が酒なんて買っていなければ……
こんな結末は生まれなかったのだろうか。それとも……
ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙
泣きながら走って 走って、
走って、転んで、ずっとずっと、ただ走った。
少しずつ冷静な思考が戻ってきた頃、男性の一人が静かに肩を揺らしてきた。
「一先ず身を隠せるどこかへ入ろう。
どこか、できるだけ人目を避けられるところに…」
「あ!あそこ…!!」
そこにはギリギリ体を隠せそうな段ボールが一つ
この街は厄介者と訳アリの集まり。
治安が悪いとは聞いていたが、見た限りその通りのようだ。
段ボール奥には先人たちの口調を荒げた書置きや落書きが、
まるでネット掲示板のように全面を覆っていた。
表とは違い「酒をくれ」「クソポスター」そんな言葉が羅列している。
しとり、しと…しと……
サイレンに比べればなんとも無いはずの雨粒の音、
町の喧騒がやけに耳に痛い。
……
「なに…これ、…WONTED……?」
「これは……わた……し……?」
街はどうやら、アルコール分を感知するハイテクロボを採用していたようだ。
ここに書いてある先人の情報が正しければ、
そのおかげでご丁寧に顔写真まで、全国にばらまかれているらしい。
つまり私の懸賞金付きポスターが、だ。
ならば取り締まりロボだろうと警官だろうと、
どちらにしてもここも時間の問題だろう。
この酒を持っている限り、
もはや私たちに助かる方法は残されていなかった。
ついに私たちは、身動きすらとれなくなってしまったのだった。
先ほどあれだけ涙をながしたばかりというのに、
飽きもせずにまた本能的な涙が、段ボールに大きなシミを形作っていた。
今、生きていることを噛みしめるかのように、
私は声を殺してむせび泣いた。
それからどのくらい、暗く冷たい段ボールの中にいたのだろうか。
かなり長い間、こうしていたような気がする。
「皆さ、ありがとうね……」
「いや、俺達も最初は酒目当てだったけどさ、あんたの力になれて良かったよ。こんなまっすぐなやつ、居たんだなって思えたし、な!」
「はは、分かるよ。何か映画みたいでさ。実は俺、昔俳優になるの夢だったんだ。
本当に主人公になった気分だよ。ありがとね。」
「それを言うなら俺もだよ。
こんなカビ腐った街で、こんな経験ができるなんて、幸せ以外のなんでも無い。」
その時だった
ビビビビビビビビビ
「オ前タチ完全ニ包囲サレテイル」
「タダチニアルコールヲコチラヘワタセ。サモナクバ全員死刑確定ダ。」
「ですってよ。皆さん……本当に、いいんですか。」
私がした質問に、誰一人として迷うことはなかった。
全員が強く拳を握り、唇を噛んでゆっくりと頭を縦に振った。
「よ~し!!!じゃあ一丁、晩酌と行きますか!!」
犯罪、死刑?
こんな素晴らしい人たちが守ってくれた酒の、何が罪なんだ。
罪の味とやら、楽しんでやるよ!
月明かりの下、各々がポケットに持っていた
素朴なつまみやドックフードを出し合い、適当な平皿で盃をかわした。
煩いサイレンをBGMに、
真っ暗でほとんど何も見えない小さなダンボールの中で、
私たちは今度こそ、全員で笑いあって晩酌をした。
おばさん、見ていますか。
この酒は、美味しいです。
こんなに美味しいのは、はじめてって、くらい……。
ありがとう……
ありがとう……
検証結果
美味い。
お酒はほどほどに。